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ヨガとからだとこころのブログ

セクシャルアイデンティティ

こちらの記事を読んだのが、きっかけとなりました。

 

20代男子!若者の精子が危ない!!

http://a-mp.jp/article/4657%EF%BC%9E

 

日本の添加物がいかに危険で身体、いのちまで脅かされているか。

さらに怖いのは、それを知らない、知らされない事実です。

日本の認可されている添加物は1000以上。恐ろしい数字です。

日本の、食。

和食は、世界遺産にまでなりました。

和食の文化だけが、重宝され、さぁ、現代社会に生きる私たちの生活はというと、添加物だらけ。

日本文化とそこに生きる日本人との剥離のようなものを感じます。

これも経済優先の産物でしょうか。

文化というのは、そこで生活している人々に息づいて欲しい、と願います。

日本のスーパーの約99パーセントは農薬の使用された野菜と、添加物が含まれた食品が販売されています。

無添加商品、オーガニック店は全体の1パーセントにも満たしません。

 

 

 

危ぶまれる生命のことも思いましたが、そもそも男女って何なのでしょうか?

精子卵子が出逢う、新たな生命のはじまり。

始めは、異なる2つの細胞が、合わさって1つとなり、あとはひたすら細胞分裂をし続け、約60兆個になります。

まったく違う者同士が、出逢うのは、最初の、たった一度だけ。

 

 

 

セクシャリティは、生物学的、科学的にみれば、身体の違いや男性、女性ホルモンであったり、子孫を残すためであり、性は生の一部です。

自殺や、殺人、死というものに近い人は、性から離れている、縁遠く、性を抜きに生きてきた、そんな話を聞きました。

 

 

 

わたしは高校時代、男になりたかったです。性同一性障害ではありません。

陸上で全国制覇をしたくて、女で生まれたことに不便だな、と思っていました。

筋トレしたって、筋肉つきづらいし、恋愛すれば、女性ホルモンが出てしまって、女性らしい体になっては困る、と思っていました。恋愛禁止(自分でそう決めました)。

今、思えば、相手はみんな同じ女性なので、条件は一緒なのだけれど。

もっとさかのぼると、小学生の頃は男の子とサッカーしてよく遊んでいたし、かけっこしたり、男子とさわいで、やんちゃな子でした。

そのときも、なんで私は、女なんだよー、と思ってました。

 

今は、女性としてうまれてよかった、と思うけれど。

わりと最近かも。

 

 

あるテレビ番組でやっていたLGBTQ。

女性同性愛者(レズビアン、 Lesbian)

男性同性愛者(ゲイ、Gay)

両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)

性転換者・異性装同性愛者など(トランスジェンダー、Transgender)

クィアQueer、sometimes questionninについては、複雑でした。

どちらかわからない、学術的、思想的、差別やいろんな意味が含まれているようです。

 

 

何を持って人は、男女であり、自己認識し、恋愛をするのでしょうか。

身体は男であっても、心は女であったり。

恋愛は男性を好きになったり、逆に女性を好きになったり。

私たちの意思とは関係なく、頭の理解や、理論ではどうしようもなく、人は人を好きになります。

何がそうさせるのでしょうか。

まるで細胞のひとつ、ひとつが呼応しているかのように。

 

 

 

 

ヒプノセラピーや、胎内記憶する子どもたちの映画『かみさまとのやくそく』を観たわたくし。

過去世は女でしたが、何回も何回も、この世にうまれてきて、男だったり、女だったり、色んな人生を歩んで来たんだろうな、と思います。

覚えてはいないですが。

好き嫌い、得意不得意も過去世が、関係しているようです。

人生で課題があったり、何かやりたいことがあったり、繰り返し繰り返し、いのちは、輪廻転生しているといいます。

魂の出逢い。結びつき。

ひとの縁って不思議で、出逢うべくして、出逢ったと思えるときがあります。

それは、過去世での結びつきや偶然も必然であったりします。

過去世は親子だったのが、現世では兄弟だったり。関わりやつながりはちょっと変わっていたりします。

これは、魂のつながり、と言っていいんじゃないかな、と。

ヨガだと身体を霊性、意識体、ほか細かく細分化した言い方があります。

目に見えてるだけがすべてじゃありません。

おもうのですが、そんな身体を抜きにした、私、という自己の意識体、いわゆる魂が、片割れの相棒、パートナーに出会う。

ですので、それは男女だったりは関係ありません。

世代も場所も国籍もそうです。

人はいろんなひとが居て、愛もいろんなかたちの愛があります。

愛は枠組みを超えてしまいます。

年齢も時間も場所も時空さえ超えます。それが愛ならば、常識も倫理も法も、何もかも相手が受けとめてくれるようなら、乗り越えてしまうことはいいんじゃないかな、とさえ思えてしまいます。

人として最低限の非道なことさえしなければ。

 

 

 

それこそ、最初の細胞同士の出逢いのように。

ふたつが、ひとつになる。

 

 

 

いち、生物科学的。

に、霊性。

 

 

どちらも心に響かず、科学だと冷たい、霊性だと縁遠い世界である、という人も居るかもしれません。

 

 

さん、あと、もうひとつ。

 

 

もう少し、寄り添って。

人間の本質的なところ。人間性。

ひととしての魅力。

男女なんて、いいからその人自身を好きになる、付き合う。

肩書きや、枠をとっぱらう。

いろいろとっぱらって、一人の人間として付き合う。

いちばんシンプルです。

好きなことだったり、価値観や楽しいことだったり。

そんな一緒に過ごす時間に、その人との関係がすべてが詰まってるんじゃないかな、と思います。

 

 

 

いのちの繰り返しの先に何があるか、わからないけれど、共に過ごせるこの時間を大切にしよう。