徳
徳を積む。
様々な文献がありますが、どの国、宗教でも、徳と似た言葉があるようです。
ニ年間掛けての人生での土の掘り起し作業をしていたのだ、と気付いた頃から、この言葉と出逢いました。
風水でも使われるようですね。
陽徳。陰徳。
日常会話では、そのひとの人徳だね~、とか人徳のあるひと、という言葉を聞きます。
これは、前のサムスカーラとちょっと似ている、つながりがあるな、と思いました。
サムスカーラはヒンドゥー教独自の考え方で、輪廻転生の考え方から、そのひとの存在印象がある、ということです。
前世でどのようなひとであったか、どのようなことをしてきたか。
善、悪、どちらの行いをどれだけしてきたか。
これは前世から、今生、来世にまで続いて行きます。
ま、ここまでいってしまうと範疇を超える領域ですので、ここでは今生だけにしておきましょう。
陽徳とは、人目につく善の行い。
公共、大衆、表に出た良き行い。もしくは、良き行いとして結果、世に知れる。
陰徳とは、人目につかない善の行い。
人目につかなくとも良い行いをする。
特にこの陰徳を積むべし、と言われています。
これを理屈でなく、生活の中で、実感や経験として、自然に学んでいるのかな、とふと思ったときがありました。
現代社会は見栄や取り繕い、体裁が良ければ、中身が伴わなくともいいでしょ、の世ですから(個人的解釈です。もちろんそんな方ばかりでないのはごもっともです。ときにニュースや新聞では悲しい事件に憂うしかなのが現状です。私に一体何が出来るのだろう、何をすべきだろう)。
むかしは、お天道様が見ているよ、という教えがあったけれども、現代科学の発展した世界では、見えているものしか信じず、かたちがなければ無きものとして捉えらえてしまいます。
そこに心の歪み(ひずみ)がうまれる要因があるのではないでしょうか。
話がだいぶ逸れましたが、人徳のほかに財徳もありますね。
どちらも巡り巡ってかえってきます。
良き行いをすれば、自分にかえってくる。
この世界のしくみ。
みえない土の中で育てた根(よい行い・心・過去)が、芽を出し、いつしか花を咲かす。
それは本人にも分からないし、まわりにも分からないし、自然と咲かす。
自然はごまかしの利かない世界です。